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自動車関連

公開日:2016年8月1日 / 最終更新日:2016年12月26日 / 2278view

クルマのIT化でどうなる? モータージャーナリスト 島下泰久が30年後の未来を予想 

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クルマのIT化の勢いが、いよいよ急だ。IT化とは、あるいはネットワーク化と言い換えるべきかもしれない。そして、それを語るならばクルマの知能化ともセットにするべきだろう。

今までのクルマは、それぞれが個別に存在して、運転はドライバーの仕事だった。しかし最近、様相が違ってきている。他車やインフラ、情報センターとの繋がりが強化され、クルマはすべてネットワークの中に位置づけられつつある。クルマ自体も、自分で判断して自律的に動く部分が増えてきた。今はそんな変化の真っ只中だ。

走りを楽しみたい人にも自動運転技術は有効

では、それは我々ユーザーにどんな利益があるのか。まず言えるのは、ネットワークに組み込まれたクルマは、自車あるいはドライバー自身だけでは取り込めない、多くの情報を活用できるようになるということだ。たとえば渋滞回避にしても、単なる交通情報だけでなく、他のクルマの走行状況やインフラとの通信内容、ネットワークから降りてくる情報などを活用できるようになる。
しかも、それらを汲みとってクルマが自律的に動く部分が増えていけば、スマートな走行、そして安全性の向上にも繋がる。たとえば、ある道を走行しようとした時に、そこを走行した他車からのデータ、情報センターから配信される内容などから、事故の可能性を検知して、車両が自動で減速したり、あるいは事前に別経路を選んだり、なんてことも容易にできるようになるわけだ。
それは自動運転への道と言うこともできる。これから30年も経てば、街行くクルマのほとんどに、程度の差こそあれ高度な自動運転的機能が搭載されているだろう。

ところで自動運転には、クルマの歓びを奪うという見方もある。今、クルマや運転を愛している人ほど、その傾向は強い。でも個人的には自動運転、決して反対ではない。むしろ期待はますます高まっている。
一番の理由としては、やはり高齢者や障害者など、今はクルマの運転が叶わない人、難しい人にも、移動の自由を提供できるということを挙げたい。しかしながらそれだけでなく、楽しさという部分でもメリットは大きい。
現に今すでに、渋滞などでの半自動運転が可能なクルマが出てきている。これらは面倒なところでは運転を代わってくれ、快適に走れる場面でだけ楽しく運転することを可能にしてくれる。こうなると、楽しい時間がより楽しくなるというのは、すでに感じている効能だ。
もっと能動的に走りを楽しみたいという人にとっても、自動運転技術は有効に活用できる。たとえば操縦はすべてドライバーに委ねられるが、本当に危険な状態でだけは、絶対に事故を回避してくれるクルマなんて、どうだろう? 今より安心して、楽しめそうな気はしないだろうか。
しかも、クルマが絶対にぶつからなくなったら……その時にクルマは、衝突安全性能のための様々な制約から解放される。車体が小さく軽く出来るようになり、もっと楽しい走りを実現できるようになるかもしれないのだ。

自動運転と無人運転が共存する社会

そんな自動運転に繋がる技術を、日米欧の大メーカーは今、こぞって開発中である。先にも記したように、すでに半自動運転と言える程度の技術は商品化済み。高速道路での直線だけでなくコーナーも含む前走車への追従、渋滞時の自動停止&再発進、更にはドライバーの指示に従っての自動車線変更も、すでに採用されはじめている。
日本勢では「やっちゃえ、NISSAN」のCMで日産が大々的にアピールしているが、トヨタやホンダも同等の技術を開発し、テストを繰り返している。ヨーロッパでは、やはりメルセデス・ベンツ、BMW、アウディが積極的だが、実はポルシェですらも、走りを重視した彼ららしい自動運転のあり方を提案してきた。
アメリカでは、やはりGoogleが気になる存在だ。彼らが目指すのは、自動運転というより無人運転と呼ぶ方がしっくり来るもの。何しろGoogle Carの室内にはステアリングホイールも無いのだから。30年後の未来になら、そういうクルマも不思議なものではなくなっているのかもしれない。でも、それは自動車という概念とは違った、別物と位置づけられるんじゃないかという気もする。自らの意思で、自らが動かして移動するのがクルマだ。両者は必ずしも競合したり、どちらかが取って代わったりというものではないのではないだろうか。

私たちが叶えたい未来とは?

それでも、もしいつか完全自動運転、無人運転の時代になったら、運転免許証は不要になるかもしれない。これ、嬉しいニュースだろうか? いやいや待ってほしい。その時には間違いなく、人間が運転するクルマは、あぶなっかしいと言われて街から閉めだされるだろう。移動の自由が人間の権利で、民主的な世の中の根幹であるならば、そんな時代は来ないはずと信じたい。手動も自動も、もちろん二輪車も自転車も歩行者も、様々な移動のかたちが心地よく共存する社会こそ、30年後には目指したいところ。そんな未来の世の中をつくっていくのは、紛れもなくユーザーである私達自身なのだ。

 

島下泰久/モータージャーナリスト
1996年よりモータージャーナリストとして活動。日本自動車ジャーナリスト協会会員。2015-2016日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。クルマの評論にとどまらず、先進の環境技術・安全技術、インフラなどクルマを取り巻く様々な事象を広くとらえる視点を持ち、専門誌をはじめ一般誌、ファッション誌、ネット、ラジオ、テレビなどで活躍。徳大寺有恒氏との共著として「間違いだらけのクルマ選び」(草思社)を2011年版より5冊出版し、徳大寺氏の他界後、2016年版より単独著書として出版する。未来のモビリティを探究するサイト「サステナ」を主宰。

 

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